札幌地方裁判所 昭和37年(人)1号 判決 1962年7月31日
請求者 宮田乃里江 外四名
被拘束者 山本勝馬
拘束者 医寮法人中江病院管理者 中江孝治 〔いずれも仮名〕
主文
本件請求を棄却する。
手続費用は請求者らの負担とする。
事実
請求者代理人は、「被拘束者をただちに釈放する。」との判決を求め、拘束者代理人は請求棄却の判決を求めた。
請求者代理人の主張。
「被拘束者は、昭和三七年五月一八日夜、いずれも同人の実子である次男山本正、次女林初子、山路数子(当事者提出の書面に山本和子又は山本かず子とあるも誤記と認める。)らにより、気が狂つているということでうしろ手に縛られたまま自動車にむりやり乗せられ、幌別郡○○町字○○○○番地の自宅から札幌につれて来られ、同夜からひきつづき拘束者が院長として管理する札幌市北二二条西七丁目一八番地の精神病治療を専門とする医療法人中江病院に収容され、被拘束者の肉親以外とは面会を禁ぜられたまま現在にいたつている。ところで被拘束者は昭和三七年四月八日に高血圧症のため倒れ、その日から同年五月一七日までの間、内科医の往診や入院治療をうけ、その後遺症として軽度の右半身不随および言語障害があるものの、歩行・食事等日常生活には特段の不自由を感じていない。しかるに前記山本正らは、被拘束者を狂人にしたてて前記中江病院に収容する手続をとつたが、これは被拘束者が同人名義でかなりの不動産を所有し、本件請求者の一人である宮田乃里江と昭和三六年一〇月ごろから交際して近く結婚しようと考えているので、被拘束者の前記財産が同女の手に渡るのを虞れて、たまたま被拘束者が中風になつたのをさいわいに、同人を精神異常者と藉口して入院手続をとつたものである。そして拘束者は右のような事情があるにもかかわらず、被拘束者を狂人と診断して同人の意志を無視して入院収容を継続している。よつて被拘束者をただちに釈放することを求める。
拘束者の主張事実に対し、被拘束者を入院収容することにつき、山本正が保護義務者として同意したことは認めるが、被拘束者が精神障害者であることは否認する。
拘束事由に対する抗弁として
(1) 精神衛生法第三三条による保護義務者として適格を有するものは同法第二〇条第二項列挙のもののみであるが、本件の被拘束者には後見人、配偶者、親権者はなく、扶養義務者は山本正ら九人の実子であり、かかる扶養義務者が複数の場合は扶養義務者各自が当然同法第三三条の保護義務者となるものではなく、同法第二〇条第二項第四号により扶養義務者のうち家庭裁判所が選任したもののみが保護義務者となるべきところ、かかる選任をうけていない山本正の入院同意は無効である。
(2) 被拘束者を強制入院させた実子らの意図は、被拘束者の療養看護が目的ではなく、同人の財産を実子らにおいて領得することにあるから、かかる目的のためのみにする入院同意は不法であり、かつ公序良俗に反するものである。従つて、かような同意は適式の同意があつたものとみることができない。
(3) 仮りに被拘束者になんらかの精神障害があつたとしても、同人の意志を無視して精神病院に入院措置をとるほどの必要性はない。」
拘束者代理人の主張
「請求者の主張事実中、主張の日に被拘束者が高血圧症で倒れその治療をうけたこと、被拘束者の実子らが被拘束者を拘束者の管理する病院につれてきたこと、拘束者が主張の日時・場所に被拘束者を面会禁止の状態で入院収容していることは認めるが、被拘束者と請求者宮田乃里江との交際、婚約話の点は不知である。
本件拘束の事由は次のとおりである。精神病院の長である拘束者が精神衛生法第三三条に基き被拘束者を診療の結果、精神障害者であると診断し、医療および保護のため入院の必要があると認め、かつ保護義務者の同意を得たからである。すなわち、被拘束者には入院の際同行した前記山本正、被拘束者の実子である三女橋本君子、五女広田美子、七女山路数子らの陳述により、暴行癖・易被剌戟性や興奮性・気分変動性・自傷の虞れとか、無断離院また性的異常・知能障害・半身不随・言語障害等の異常性が確認され、精密検査ならびに診断の結果も、被拘束者は脳軟化性痴呆で知能程度も精神年令九歳位の心的欠陥を蔵し、被暗示性傾向特に好意を抱いている前記宮田乃里江に溺れきつているうえ、自己の重篤な病態を認識せず本能的に不節制な性生活にふけつていたことが認められた。精神衛生法第三三条に規定する『精神障害者』とは狭義の精神病者に限られず、単純な不適応・精神神経症・知能障害等の徴候をおびる者を広汎にさすものであるところ、被拘束者に大きな脳血管侵襲に起因する前記肉体的・精神的欠陥や行動の偏倚が認められる以上、同人はまさしく同法同条に規定する精神障害者というべきである。そして拘束者は、昭和三七年五月一八日夜、被拘束者を入院させるため付添つてきた同人の保護義務者四名のうちの前記山本正から、入院収容に同意する旨の書面をえて被拘束者を中江病院に入院させたものである。
請求者の拘束事由に対する抗弁事実中(1) について、山本正が家庭裁判所の選任をうけた保護義務者ではないことは認めるが、その余の事実及び(2) 、(3) の事実は否認する。
再抗弁として、被拘束者の扶養義務者のうち東京在住の長女末次恵子を除く実子八名全員が、被拘束者を精神病院に入院させることを事前に同意していたのであり、仮りに家庭裁判所の選任をうけたとしても、右八名のうちから保護義務者が出ることは明らかであり、たまたま緊急入院手続をとる必要が生じたため、いあわせた林初子、橋本君子、広田美子、山路数子、山本正の五名がその衝に当り、精神衛生法第三三条所定の保護義務者の同意は山本正名義でしたものである。同法同条の趣旨は多数の保護義務者が各自に保護義務を行うことによつて混乱を生ずることを避けるためのものであり、本件においては扶養義務者全員が入院に同意しているのであるから混乱はなく、緊急性とあいまつて、保護義務者を家庭裁判所で選任しなかつたという形式的違法性は阻却される。」
被拘束者代理人は請求者の本件請求には賛成であると意見を述べた。<証拠省略>
理由
当事者間に争いない事実によると、被拘束者が昭和三七年四月八日に高血圧症で倒れ同年五月一七日まで内科医による治療をうけたこと、請求者主張の日に被拘束者が、拘束者が院長として管理する札幌市北二二条西七丁目一八番地の精神病治療を目的とする医療法人中江病院に、実子の次男山本正、次女林初子、七女山路数子に連れられてきたこと、拘束者がそれ以来現在にいたるまで肉親以外とは面会禁止にして被拘束者を右病院に入院収容をつづけていることがそれぞれ認められる。拘束者は、被拘束者が精神障害者であると主張し、請求者は、被拘束者にはなんら精神障害はないのに、被拘束者の実子らは、父が脳卒中で倒れたのを利用して、精神異常であるとして入院させ同人と交際のある宮田乃里江と隔絶して、右宮田に被拘束者所有の不動産が移動するのを防止しようと意図していると争うので、まず被拘束者の精神状態について判断する。
鑑定人切賛辰哉の鑑定の結果、証人山本正・広田美子の各証言、拘束者本人尋問の結果ならびに右尋問の結果によつて成立を認めうる疎乙第一号証、右山本正の証言により成立を認める疎乙第三号証、右証人広田美子の証言により成立を認める疎乙第一〇号証並びに弁論の全趣旨によると、被拘束者には動脈硬化性精神障害即ち卒中発作後精神衰弱が認められ、動脈硬化の進行にともなつて大脳に広汎な小軟化巣が散在するようになつて、知能・感情・意思・思考の精神機能に障害を生じ、卒中後痴呆のため精神年令九才という重症痴愚に相当する知能段階にあること、感情失禁・意志被定性・強度の抑制力欠如の状態にあつて、自己の病識病感を欠く失病症の傾向がみられたり、奇異な言動に出るのは右精神状態のためであること、しかも右疾病の程度は重篤であつて、時期は入院時に比して快方には向つているとはいえいまだ急進期であること、さらに右上肢不全麻痺と言語障害ならびに動脈硬化症・高血圧症・絶対的不整脈を主徴とする心臓所見があり、これらは被拘束者の精神障害と直接の因果関係があること、同人の右精神・身体障害の治療と看護を期するためには精神病院における収容を必要とすることが認められ、右認定に反する成立に争いのない疎甲第一ないし第七号証、第九号証の記載ならびに請求者宮田乃里江、同吉池治三郎(第一回)各本人尋問の結果は前掲証拠と対比するとたやすく信用しがたく、他に右認定を覆すにたる証拠はない。
次に精神衛生法第三三条に基いて、精神障害者を強制入院させるための要件としての保護義務者の同意の点について判断する。
当事者間に争いない事実によると、被拘束者を入院させるについて山本正が保護義務者として同意をなしたこと、同人が精神衛生法第二〇条第二項第四号に規定するごとき家庭裁判所の選任をうけた保護義務者ではないことが認められる。そうすると精神衛生法第三三条に規定する保護義務者としてなされた山本正のみの入院同意は形式的には無効だといわざるをえず、この限りにおいては請求者の抗弁(1) は一応理由があるようにみえる。しかし証人山本正、広田美子、山路数子、川居信子、岸君子、山本鈴子の各証言によると、被拘束者の入院についてその実子のほとんど全員が同意の意思を表示していたことが認められ、公文書であつて、真正に成立したものと認める疎甲第八号証(戸籍謄本)、証人山本正の証言、弁論の全趣旨によれば、被拘束者の妻サヨは死亡し、また被拘束者の入院当時同人につき後見人の選任がなされていなかつたことが認められる。従つて、被拘束者について精神衛生法第二〇条第二項第一号ないし第三号所定の者を欠き、かつ右の実子は、民法第八七七条第一項により家庭裁判所の審判をまつまでもなく法律上当然に被拘束者の扶養義務を負う者であるから同人らはいずれも第一次的に家庭裁判所により精神衛生法第二〇条にいわゆる保護義務者として選任されうる適格を有していた者である。そうして、右山本正の証言によれば、同人は、被拘束者の後継者として事実上被拘束者一家の家政を主宰していたことが認められ、正のした前記同意は、同人を除くその他の扶養義務者らの総意に基きその意思を代表してなされたものと一応認定することができる。
精神衛生法第二〇条第二項第四号において保護義務者を家庭裁判所に選任せしめるゆえんは、扶養義務相互の利害を考慮し、精神障害者の保護を図るに最適任の者をして当らしめるにあることは明らかである。してみれば、正は、同人につき家庭裁判所の保護義務者選任の審判を受けていなかつたけれども、そもそも保護義務者たる適格を有しない者が同意した場合であるとか、他の扶養義務者の意思を無視して同意がなされた場合とは異り、正の同意のもとになされた被拘束者の入院は精神衛生法第三三条所定の手続に著しく違反しているものということができない。従つて、請求者の抗弁(1) の主張は採用することができない。
そこで更に請求者の抗弁(2) について考える。
証人山本正・広田美子の各証言、請求者宮田乃里江、同吉池治三郎(二回)各本人尋問の結果ならびに証人山本正の証言により成立を認める疎乙第三号証、証人広田美子の証言により成立を認める疎乙第一〇号証、成立に争いのない疎乙第四号証、疎甲第一ないし第七号証、第九号証、第一二ないし第一四号証によると、被拘束者の実子らが、被拘束者と宮田乃里江との関係をたちきりたいと考えていたこと、山本正はじめ被拘束者の実子全員が相談して、被拘束者の入院中に同人所有の不動産を第三者に売却したことが認められ、右認定を覆すにたる証拠はない。しかしすすんで右山本正らが被拘束者を入院させたのは、同人の療養が目的ではなく、その財産を領得することのみが唯一の目的であつたという請求者の主張は、前記認定した被拘束者の精神状態に照らしてみるとこれを確認できず、右抗弁(2) は理由がない。
請求者の抗弁(3) は、前掲被拘束者の精神状態についての判断で示したとおり理由がない。
してみると、被拘束者の本件拘束がその権限なしにされまたは法令の定める方式もしくは手続に著しく違反していることが顕著であるとして、その釈放を求める請求者の本件請求は理由がなく失当であるからこれを棄却すべく、人身保護法第一六条第一項、第一七条人身保護規則第四六条民事訴訟法第八九条第九三条第一項により主文のとおり判決する。
(裁判官 本井巽 間中彦次 今枝孟)